戦後日本を代表する写真家 東松照明の最高傑作、40年を経て新たに蘇る。
東松照明は1969年に沖縄と出会って以来、1970年代前半はほぼ沖縄を中心に活動し、その成果として1975年に『太陽の鉛筆』(毎日新聞社)が刊行されました。東松が沖縄へ渡った契機の一つは、代表作「占領」シリーズの延長上に沖縄の基地の実態を撮影することにありましたが、『太陽の鉛筆』はある意味で脱占領宣言であり、脱アメリカや脱日本であり、最終的には脱国家の思考実践だったといえます。
そこには国境や領土や所有といった概念を拒もうとする精神の営みが波打ち、島々を分断させず、やがてその視線は日本という枠を超えて東南アジアへと展開しました。
歴史や土地の制約からの自由を求める人間の脱領土的で群島的な想像力が
イメージとして結実した『太陽の鉛筆』は、東松照明の代表作として屹立しています。
『太陽の鉛筆』の沖縄編には宮古島での7カ月の生活を綴った6つのエッセイと、
宮古島や周辺の島々を撮影した150点の写真が収められています。
また東南アジア編は台湾の基隆や淡水、霧社や墾丁、フィリピンのミンダナオ島のサンボアンガ、マニラ、
インドネシアのジャワ島のジャカルタ、ソロ、バリ島、マレーシアのマラッカ、タンピン、ベトナムのサイゴン、
タイのランバン、チェンマイ、アユタヤ、シンガポールなど7ヶ国17地域にわたる島々が撮影され、
さらに東南アジアと地続きであるかのような沖縄の渡嘉敷、那覇、普天間、コザも含めた80点の写真で構成されています。
東松はその島々の配置によって、沖縄や八重山での生活で直感した南からの流れやその系譜の向こう側へ旅しようとしたのでしょうか。
##太陽の鉛筆,首版於1975年《每日新闻》,是東松照明前往冲绳记录美军基地实况的写真。受柳田国男的民俗学《海上之路》启发,并向塔爾博特的摄影名著《自然的鉛筆》致敬。由於在1972年前冲绳仍属于美国管辖,是美军的最大驻日基地,他想直面“被占领”這種状态。 遂用社会学的观察方式拍摄冲绳人原生状态的日常生活,卻意外发现此處是没有受到美国化渗透的日本风景与文化现象,最終昇華至歴史や土地の制約からの自由を求める人間の脱領土的で群島的な想像力が。 以至他隨後迁居至冲绳宮古島,均是想籍此找到自身文化、历史的根源,像林叶老师講的,表現为「去國家」的思想實踐,即是在脱离历史和属地等约束下渴求着自由,從各种殖民领地中寻求解放,这种群岛住民的想像力变成影像的结果:由“冲绳篇”与“东南亚篇”两个部分组成。
评分##家没有了却想到要拍摄了,这就叫缺失感。在失去了家的瞬间,记忆也破灭了,他于是就在其他地方寻找我脑子里的家。他的拍摄行为是充满力量,将他人的生命整体数不尽凝聚的,在我们观看这个行为中,一切又生还了。
评分##是一整个世界不是一张照片,但每张都好,美且置身现场。
评分##以前就很喜歡的海面上一朵雲的照片,就是這本最開頭波照間(はてるま)島記錄裡的一張。單看非常靜謐,放進整本裡又有了一種人文記錄的含義,是真的好照片。東松太厲害了,文字也寫得很好。
评分##大师到底是大师,每一张都很有份量
评分 评分##@photofair shanghai
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